HISTORY

Chapter4 活動休止から〜再結成へ


1990年の心斎橋のライブ以降、メンバーの仕事での転勤が重なりバンドとしての活動は停滞し、ソロでの活動が目立つようになる。

1993年 ゲストボーカルとして1回目のライブに参加した松本圭司の結婚式2次会では、 パソコンを中心に編成した大橋・山崎の2人で 

"大橋 徹とリズムボックスオーケストラ" として参加した。

1996年 大橋の結婚式では、披露宴会場でのアンプ使用時の音量を考慮して、 大橋・永山・大塚・清水の4人による合唱隊

"ダーク yonkai ダックス" として参加した。


1997年以降は事実上の活動休止状態に。

2001年 結成15周年記念として、同年11月に3日間限定のライブフィルム撮影用の再結成が企画され、  

3月、東京・目黒の大橋会館を借りてのメンバー、スタッフ全員集合による東京ミーティング  

5月 再結成・ライブ撮影予定場所である静岡県富士五湖および長野県周辺の現地視察(山崎、大塚)が行われたが、

企画の一人、山崎の大人の事情による長期離脱で再結成ライブは無期限延期となる。


2011年8月 結成25周年を迎え、サイトを全面リニューアル。

9月  再結成に向けて企画開始

10月 再結成イベントは翌年1月に東京・自由が丘のスタジオ・ノアにおいて

1日限りのスタジオセッション形式に決定する。

メンバー間の慎重な選曲により、新・旧を混ぜて4曲の個人練習が始まる。

メンバー6人中半分が10年ぶり以上(最長者は20年ぶり)に楽器触れるということもあり、

「楽器の弦張り」から始めるという、ほぼリハビリ開始状態となる。


12月 各メンバーによる練習の追い込みが始まるが、

そんな年末の最中にキーボーディストが内耳を痛め、耳を腫上がらせるわ、

ギターリストは指の負傷による通院で参加が危ぶまれるも、

かろうじて両名ともに間に合わせる。


2012年1月 東京セッション当日

カメラクルー3名、カメラ台数計7台という、

アマチュアバンドとして他に類を見ない陣営で、

メンバーのスタジオ入り風景からメイキングパートの撮影を開始するが、

その光景を離れたところから客観的に見ると、

東京・自由が丘という閑静な住宅街に、

カメラマン1名、ディレクター風の男性が他2名という、

完全にどこかのAV撮影となんら変わらない光景であったと言われる。


セッションは、およそ20年ぶりの再結成として、

「音の完成度」という点では多くの課題を残したが、

もっとも重要な「みんなが楽しめる」という点においては合格点が出され、

メンバー・カメラクルー全員による『またやろう!』と意思統一が確認された。


現在、滋賀県の「Studio TANASHI」において急ピッチで進行中の映像編集が終了次第、

movieに演奏曲がアップされ、メイキングを含む完全版DVDのリリース(春予定)が

終わり次第、次回セッションの企画構想に取りかかる予定である。


メンバー曰く、『いくつになっても音楽はいいもんだ』

ここにYonkai Bandの復活が高らかに宣言された。


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