HISTORY

Chapter2  1987年〜1988年 本格活動開始



1987年 5人にメンバーを固定し、練習を再開し始めた頃、山崎が他に参加するRCサクセションの完全コピーバンド

"Mother fuckers"主催の「天王寺・POP&ROCKフェスティバル」に出演が決定。 記念すべきメンバー全員揃っての初ライブとなる。

だが、1曲目から、まずギターの大橋がギターチューニングせずに弾き始めた為に1音目から音をはずし、

あろうことか演奏を止めずにチューニングするというまさに「ルール無用」状態で敢行。

さらに照明がスポット一方向固定で、永山は黒いTシャツを着て来た為、暗転のベースソロでは全く姿が見えず

首をラジオ体操のごとく左右にふる観客の姿が見られた。


旧サイトでは語られていなかったが、 当時バンドの活動費をポケットマネーより秘密裏に出してくれていたメンバーの上司であるU所長が

このライブ数日前に「今度のライブは息子も連れて行って大丈夫か??」に対して、 胸を張り

「もちろんです!高尚なクラシック音楽をやってらっしゃる息子さんにも自信を持ってお勧めしますので、ぜひいらして下さい!」 と答えたものの

共演する他バンドに「絶叫系ヘビメタバンド」があったのを忘れており、 親子で鑑賞に来られたU所長は翌年からライブ見学をやんわり拒否するようになる。


1988年 大阪市浪速区桜川ショッピングセンター主催の浪速区フリーコンサートに 前述の "objet"・難波中学軽音楽部と共に参加。

山崎がボーカルを取る「青い影」を演奏中に、キーボードで友情参加(他の1曲のみ)のK氏が意味もなくうろつき、 つまずいてコードを引っこ抜いてしまい、

山崎のマイクが一時オフになるというアクシデントなどは、もはや前座の振る舞い。

ここでも「アクシデント真打」こと大橋が、アンコール曲の「Smoke On The Water 」を演奏にあわせて 声高らかに

「♪歌詞なんか知らねぇ〜!!」 と、絶叫・連呼するという「大橋イズム」を十二分に炸裂させた。

しかし、あまりの本人の熱唱ぶり、自他共に認める堂々たる歌唱力もあり、 その事に気づいたのは、ライブ後にビデオを見た数人だけだったのは幸いである。

この桜川のライブと天王寺のライブ(ダイジェスト)はDVD "After the Rain ” に収録されている。


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